1995年1月17日兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)がありました。

山形市に住んでいた私は、朝目覚めてテレビをつけると、神戸の街から煙があがっているのを目にしました。神戸は、子供の頃から慣れ親しんだ街、仕事をはじめた街、私が生まれた街です。現実とは想えないテレビの映像に思考は止まりました。

神戸と淡路島にいる家族に電話をかけても繋がりません。当時、携帯電話をもち、メールができる人はほとんどいませんでした。

そのときの私は、FMで生放送の情報・音楽番組のパーソナリティーとして、またニュース番組に出演していました。

故郷がたいへん。家族と連絡はとれない。そのとき私は、直感で大丈夫だと想いました。自分の直感だけに従い、目の前の自分の仕事をやろうと想いました。たとえ、直感で大丈夫だと想わなかったとしても、目の前にある自分の仕事に責任を果たそうとしたはずです。

プロのしゃべり手、プロの表現者とは、どんなときでも自分のことにとらわれず、精一杯、真の言葉を伝えなければいけません。それが美しい姿だと想います。アナウンサーの仕事は、一見、楽しそうですが、本当は厳しいです。身を削ります。それでもやりたいという覚悟と使命感でできる仕事です。

現実がたいへんな時こそ、本当の自分の姿が出てしまうものです。その姿が、プロとして今後仕事を続けてもいいのかどうかを教えてくれます。常に、自分の覚悟を試されているのです。

あの日、職場の様子を見に行った父が、公衆電話から淡路島の家族は無事だという連絡をしてくれました。今日は、その父の77回目の誕生日です。

被災された皆様の癒しを、心からお祈りいたします。

(2010.1.30)