2010年の初稽古は1月2日でした。年末のスタジオライブで朗読した「源氏物語 ~賢木~」のおさらいと太宰治の「きりぎりす」を、自分のスタジオで声に出しました。新年の声はどんなものかと毎年楽しみですが。初稽古で、今年もやる気がある、ということだけはハッキリとわかりました(笑)。
弓道の初稽古は1月7日でした。霞の的に本音で向かいました。正射必中(せいしゃひっちゅう)。弓道場は神聖な場。身も心も正しくなければいけません。的と向かうというのは、真に自分自身と向かい合うということです。邪な気持ちや逃げがあっては、矢がまっすぐには飛びません。神聖な場では、自分の本当の姿がみえてしまいます。射場は空気が澄んでいて心地いい場所です。雑念がふりはらえます。余計な想いはなくなります。丹田に気が集まります。まだまだと想いながら、正面から向かっていけるのが楽しいです。
私にとってスタジオや舞台は、特別な神聖な場です。すべてが見透かされてしまう。つくろったり、嘘があるとばれてしまう。おそろしい場所です(笑)。もちろん畏敬の念を抱くべき大切な場所でもあります。何におそれを抱くのか、それは、自分自身にです。いくら誤魔化そうとしても自分だけは騙せません。正しいのか正しくないのかは、自分が一番わかっていることだから。けして、手を抜くことなどあってはいけない、ありのままの自分を出さなければいけない神聖な場。そして、どこよりも清々しく居心地のいい場所、それがスタジオ、舞台です。
表現するということは、自分の本当の姿が出てしまいます。こわいことです。ですが、神聖な場では、逃げずに、おそれずに、勇気をもって自分のすべてを出さなければいけません。安心して自分をさらけ出していいのです。どんな自分でもすべて許されるからです。許してもらえることに感謝して、恩返しのつもりで、上達できるようにさらに努力すればいいだけです。
神聖な場所があることを、神聖な場で本気で本音で正面から勝負できることを、日本語を表現することを使命として仕事にできることをありがたく想います。
あなたの神聖な場所はどこですか。神聖な場では、あるがままの自分で。
(2010.1.11)