父とは、子供の頃からよく話しをしました。ですが、大切なことを一度も話していないことに、今ごろになって気がつきました。大切なこと……、それは、戦争体験です。

私は歴史が専門で、古代からの世界中の戦いについて知っていたつもり、でした。戦時中のことを取材したり、戦争体験についてインタビューしたこともあります。なのに、愚かにも目の前にいる父には、一度も第二次世界大戦のことを聞かなかったのです。

日差しの強い夏の日、「終戦の日、どうだった?」と、ふと、言葉が出ました。すると、父の口からは、終戦の日の事、戦時中の出来事が、あとからあとから言葉となって出てきました。

終戦の日当時の父は12歳で、神戸に近い淡路島にいました。あの夏、1945年8月15日は、とても暑い日で、いつもは、神戸の方向へ飛んでいくはずのB29が、今日は飛ばないなと思いながら、朝から畑に出ていたそうです。終戦間近は国民の暮らしも厳しく、学校は休みで、農作業などに追われる毎日だったそうです。正午にラジオを聞くようにと言われ、ラジオから流れる天皇陛下のお言葉を聞いて、終戦を知り、その時の気持ちはこうだった……と、詳しく話してくれました。長い会話でした。

淡々と語る父の話を黙って聞いていると、まるで戦時中の様子が、目の前に色鮮やかによみがえってくるようでした。そして、その時々の父の気持ちも読み取ることができました。静かな語り口なのに、とても気持ちがこもっていたからです。

豊かで穏やかに暮らせている今、もうあんな苦しい思いはしたくないと、戦時中のことは思い出したくなかった、と言った父。思い出したくはなかったけれど、いつか、あの苦しかった戦争体験を、娘である私に話したかったのではないかと、父の話を聞きながら思いました。これまでの私は、戦時中の父のことを受け止める自信がありませんでした。でも、本当は聞いてみたかったのです。父と話せて心からよかったと思いました。

戦争体験は、話す方も、聞く方も、心が苦しくなりそうで、言葉にするのに勇気がいるかもしれません。ですが、苦しい気持ちを乗り越えて話さなくてはいけない、聞かなくてはいけない、そういうものだと思いました。

言葉とは、思いがつのれば、自然とあふれ出てくるもの、思いは言葉となってあらわれるのものです。これからも、心のままに、素直に言葉を発していければと思います。

(2009.7.29)